自分の選択肢の中に「やりたいこと」がないだけなのではないか?
「やりたいことがわからない」
「熱意を持てるようなことがない」
「夢中になれない」
こんな悩みについてのコンテンツをよく見かけるような気がする。それに対して、成功者とされている人たちが回答する。その回答には妙に納得感がある。
しかし、いざ目の前の生活に戻ると、結局は「やりたいことがない・わからない」状態から抜け出せていない。
では、結局どうしたら自分のやりたいことが見つけ出せるのか?これについて考えたことを書いていきたい。
まず、結論から。
自分のやりたいことがない・わからないという状況にある時、それは「取りうる選択肢を把握した上での状況なのか」ということをまずは深堀する必要があるように思う。
もっとわかりやすくいうと、「やりたいことが明確になるほど、あらゆる選択肢に手を伸ばし、実際にやってみたのか?」ということ。自分の経験は足りているのかとも言い換えることができると思う。
私もやりたいことがわからない・何が好きかわからないみたいな状態になったことがある。そういった状況にあったときは「今やっていること以外の選択肢に触れていない」という状況だったように思う。
例えば、全く誉められたことではないが、高校生の時「何を大学で学びたいか」なんてほとんど考えていなかった。いや、考えていなかったというよりも、ちょっと調べた大学の学部や勉強内容をちょろっと見ただけでどこに行こうか決めていたように思う。
このような状態では、選択肢は増えない。なぜなら自分の体験を通していないから。
実際に大学で学べる学問に触れてみる、それが社会でどのように役に立っているのか調べてみる、可能であれば職場を見にいく、働いている人に話を聞いてみるなど、自分の体験として経験しなければやりたいことなんてわからないのだと思う。
大学のパンフレットやなんとなくの学部のイメージだけではやりたいことなんて見つからないケースがほとんどだと思う。
つまり、やりたいことがわからない=自分の体験を通して経験したことがまだ少ない。ということなのではないか。そう感じている。
やりたいことがわからないなら、いろんなことを経験してみるのはどうだろう?
要は、やりたいことがわからない。と思えるほど、いろんなことを”やってみた”のか?
これに尽きる気がする。
あらゆることを体験してみて、それでも自分のやりたいことがわからないのであれば、それはそれで大変だけれども、多くの場合、やりたいと思えることの選択肢が少なすぎる場合が多いのではないだろうか。
世の中は相対的だ。
日本はいい国だ!みたいなことを言っている人がいたとして、その人が海外へ行ったことがないようであればそれは、本当に「いい国」なのかという話だ。
比較対象があって初めて、判断できること・認識できることがある。
だからこそ、やりたいことってなんだろう?となった時にはまず、色々経験してみる。興味のあることに少しだけでも手を出してみる。
こういった自分の体験を通した経験が積み重なることで、やりたいことの輪郭はハッキリしてくるのではないだろうか。
コメント