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自分の人生を選べる、最初の時代に生きている

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今の当たり前は、実は、当たり前じゃない

最近、技術の進歩が爆速。chat gptはどんどん賢くなるし、数年前までは調べるのも一苦労だったのが今ではものの数十秒で網羅的にわかってしまう。それだけにとどまらず、画像ですらも一瞬で生成できてしまう。

便利になったことは実感する。一方で、その便利さというのはあっという間に当たり前になっているようにも感じる。それこそ、chat gptを使わない日なんてない。使うことが当たり前になっている。

けど、よくよく考えてみると今の当たり前って当たり前じゃないよね。ということに気付かせてくれるラジオを見つけた。

このラジオで1番ハッとさせられたのは、

『世界に対して、好奇心を持って臨んでいける初めての時代。』

という言葉。

確かに、今では自分の興味のあること、好きなことを選択できる時代。ただ、多様性とか叫ばれているこのご時世ではそれが当たり前の権利になっている。むしろ、自分の好奇心がはたらない状態の方が「個性のないやつ」的なマイナスな印象を与える場合すらあるように思う。

このラジオでは、そんな好奇心を持って世界の臨める状況はこれまでの人類の歴史の中で今が初めてであると強調されている。

宗教や思想、国の政策などに異議を唱えると普通に弾圧、ひどい場合には処刑されていた時代が実はちょっと前まで当たり前だった。

ここまではないにしても、親のいうことに基本的に従って生きていくということもちょっと前までは普通に起きていた。結婚もそれにあたるだろう。

こう考えると、まず、好奇心を持って生きていける状態は当たり前ではないということがわかる。

世の中は相対的

好奇心を持って世界に臨めること自体が当たり前ではないことは理解できた。が、それだけではない。

当たり前じゃないことはまだある。

個人が発信できること。

これもこれまでの人類の歴史では考えられないことだそうだ。一部の知識人のみが発信することができた。しかし今は、IT技術が発展し、個人の誰もが好き放題に発信できる。

こんな世界に対して、ラジオの中ではこう伝えられていた。

『好奇心と発信をしないで生きていくのは本当にもったいない。』

今を生きている自分には、当たり前のことが実は当たり前じゃないことを理解するためには、比較対象が必要。そしてそれは、歴史であるということがわかった。

目の前の当たり前や不自然さを目の当たりにしたときには、歴史を振り返ってみようと思う。そして自分が感じたことは積極的に発信していこう。

過去の人類のみなさん、こんな世界にしてくれて感謝。

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