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目の前の事象と人の可能性を信じる

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チャンスをつかみ取れるかどうかの差はどこにあるのか?

よくチャンスを掴めという話がある。しかし、この「チャンスを掴め」という言葉について考えてみると非常に厄介なことに気づく。

チャンスかどうかわからないから掴めない。ということが往々にして起こるのだと思う。

目の前の事象に「これはチャンスです」と書いてあったら、それを見逃す人はいないだろう。チャンスだと認識できるかどうか?これが重要なのだと思います。

では、チャンスを認識するためには何が重要なのだろうか?

現段階での私の答えとしては「目の前の事象の可能性に目を向けそれを信じる」こと。これがチャンスを掴むための重要な要素であると思っている。

目の前の事象に対して、今の自分が認識できるメリットを感じることができることは稀だろう。一見無駄に見えるようなことでも、後々チャンスのきっかけだったと気付けることは多々ある。

これは、偶然にすぎない。

しかし、意図的に目の前の事象に対して「可能性」を見出して接することで意図的にチャンスを掴むことはできるはずだ。

つまり、日々の仕事でも私生活でもいいけれど、目の前で起こる事象に対してあらゆる可能性を感じ取り、接することで「チャンスを掴む」きっかけになる。

人に対しても「可能性を信じる」ことができるか?これが重要だ。

自分の周りにあまり活躍していない、成果を上げていない人がいたとする。それを見て、関わることをせずに自分の成果だけに目を向けやり切るということは一つの手だろう。

しかし、長期的にみるとそれは悪手になるかもしれない。なぜなら、仕事で大きな成果を出そうと思えば思うほど、自分以外の人の協力が必要になってくるから。

自分一人でできることには限界がある。

となると、自分の周りの人といかに協力して、それぞれが力を発揮して成果を出すための行動が取れるかどうか。これが重要なはず。

「あいつはだめだ」とか「あいつは使えない」とか「あいつは仕事できない」とか。そんなことは言ってられない。というか、そう言った指摘は間違いである。

貿易論を勉強したことがある人ならわかるかもしれないが、リカードの比較生産費説を知っていればわかる。各々の比較優位に特化して行動すると利益は最大化する。

つまり、人に対しても「できる」「できない」とかではなく、その人の可能性を信じて比較優位を見つけ出し、その仕事・業務に特化させることで成果につながるはずである。

目の前の事象や人の可能性を信じ切る。これを意識したいと思う。可能性を見つけることに長けた人になりたい。

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