自分の感情は何に規定されているのかを見つめ直す
先入観。辞書的にいうと「まだ十分に見たり考えたりする前に、あらかじめ持ってしまっている固定的なイメージや考え方」のこと。差別や偏見というのもこの部類に入るのではないかと思う。
この先入観、実は非常に厄介な代物。なぜなら、判断基準が社会に規定されている可能性があり、自分の感じ方を知らず知らずに排除してしまう可能性があるから。そんなことに気づいた。
きっかけは早起き。
私は早起きをして、1日を生産的に過ごしたいとここ数年ずっと思ってきた。普通の人と同じくらいには早起きができているだろう。ただ、もうちょっとだけ早く起きたいと思っている。大体5時くらい。
しかしこれがなかなかできない。というのも、早起きはきついからだ。どうしても二度寝してしまう。楽な方に逃げてしまう。だから早起きができない。
と、思っていた。これが先入観。早起きは”大変なこと”だけれど、幾つかのテクニックで乗り越えることができますよ。とハウツーが溢れている。
しかし、これが間違いであることに気がついた。
私の場合は、早起きして運動をすることを目標にしていた。けど、起きてすぐ運動するのはきついから、ノートに起きてすぐの自分の感情を書くようにしていました。
こんな感じ。
するとあら不思議。早起きがきついとか辛いとか書くのかと思いきや、実はそんな感情はあまり出てきていなかった。早起きは別に”大変なこと”ではなく、ただ起きるだけの普通のことなのかもしれないと思えた。普通のことなら、別に「頑張って早起きしよう」と思う必要もなく、淡々とこなすだけである。
つまり、「自分の感情は実は世の中に規定されていて、大きく影響を受けているのかもしれない」ということだ。自分の体験から素直に出てくる感情に目を向けると世界の見え方は違うのかもしれない。
自分の感情は世の中に規定されているのかもしれない。
自分の感情に正直になることが世界の見え方を変えるきっかけになる
先入観というものを全て取っ払うことはできないだろう。しかし、自分が感じる(感じさせられている)先入観に目を向けることはしても良いのかもしれない。
これって本当に嫌なことなんだっけ?
これってよくないことなんだっけ?
これって本当に面白いことなんだっけ?
当たり前と思っている自分の感情に問いかけてみるところから先入観の組み替えは始まるのだと思う。
何が正しい、何が正しくないなんて価値基準は人それぞれである。これはもちろんそうだ。
ただ、その基準を自分で規定しているのか、世間に規定しているのかは大きく違う。自分の感情に正直になり、当たり前と思われる価値観に疑問を持ち、再認識し直すことで見える世界は大きく変わるのかもしれない。
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