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伝わらない魅力は、存在しないのと同じなのかもしれない

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魅力は、内にあるものではなく、それをどう伝えるかに宿る

魅力的な人だ。

と、表現される人。そこには何があるのだろうか?

魅力的というのはその人に惹きつけられるかどうか?という言い換えもできるかもしれない。

なんでこんなことを考えたのかというと、会社の同僚のまだみたことない趣味の一面を見たときに「そんな世界観を持ってるんだ」と感じる機会があったから。

自分が知らないだけで、人は多面的で自分がみたことがない面があるんだと感じた。そしてそこに魅力が詰まっている可能性があるのだとも感じた。

何がその魅力、惹きつけられる力を醸し出すのだろうか?

考えてみた結果、「魅力的だと思われることは、自分の多面性をうまく表現できるかどうかにかかっている」のではないかと思う。

魅力的だと感じるときには、相手の何かしらの要素を認識することが前提。その認識がなければ、魅力的かどうかはわかる分けもない。もちろん、外見的な特徴は別だけれど。

内面的な魅力というのはそれが相手に知覚される形で表現されなければ、相手に認識されることはない。

私の場合、職業柄、森岡毅さんの仕事に対する思いやリーダーとしての振る舞い方の考えを本やメディアで知っているのでめちゃくちゃ魅力的に感じる。

そして、森岡さん自身の言葉・振る舞いだけではなく、森岡さんのことについて言及する著名人によってその魅力はますます強固なものになっているような気がする。

つまり、森岡さんの魅力は、私が認識できる形で表現されているからこそ、私は森岡さんを魅力的だと感じるのだと思う。

仮の話をしてみたいと思う。森岡さんが、メディア出演していなくて、本も出していなくて、世間的にも有名ではなくて、たまたま仕事で見かけた人だったとする。この場合、私は今と同じくらい森岡さんを魅力的に感じることができるか自信がない。

要は、知覚できる形で表現されたものに対して私は影響を大きく受けている。自分の純粋な価値基準ではないのだと思う。

そんな自分に若干の嫌気を感じつつも、そりゃそうだよなとも思う。

相手の多面的なところを知ることで、その人の魅力が見えてくるのかもしれない

となるとだ。

初見で魅力的に感じるというのは、その人が魅力をうまく表現できているからだと思う。もしくは、その人以外が、その人の魅力をうまく表現していて、それを自分が認識しているからなのかもしれない。

ちょっと抽象的な言葉になりすぎたのでタイトルを回収したいと思う。

「伝わらない魅力は、存在しないのと同じなのかもしれない」

当たり前っちゃ当たり前。知覚できなければ、理解することはできない。

自分は今、目の前の人の多面性を認識できているだろうか?

この問いを持つことで、人との関わり方が変わりそうだ。

もちろん、自分の魅力をうまく表現できる人もいるだろう。ただ、そういった人ばかりではないはず。本当は魅力に溢れているけれども、それが表に出ていないだけかもしれない。言葉にできていないだけかもしれない。

自分が変わる人たちとのコミュニケーションが本当に重要だとわかる。

ただ会話するだけでは多分だめ。

その人の多面的な面に意識的に目を向けるところからその人の魅力に気づくきっかけが生まれるのだと思う。そしてそれを知るための質問も重要なはず。

どれだけ魅力的な思いや考えを持っていたとしても、伝わらない魅力は、存在しないのと同じなのかもしれない。

そんなことを考えた。

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